メグスリノキ(めぐすりの木)の歴史は、古く、戦国時代すでに北近江(現在の滋賀県)や播州(現在の兵庫県)では眼病の特効薬として評判になっていたといわれています。
司馬遼太郎著の「播磨灘物語」には、戦国時代の名将、黒田如水(官兵衛孝高)の祖父である重隆が室町時代にメグスリノキから抽出したエキスで目薬をつくり、黒田家の礎を築くほどの財をなしたと記されています。
また、江戸時代になるとメグスリノキを濃縮し、黒い飴のように固め、それを絹の小袋に入れハマグリの貝殻に封じたものが販売されるようになりました。これは使用時、小袋に水を加えてもみ、にじみ出た液を指などにつけて目を洗うという膏薬(こうやく)型洗眼薬[※2]として使用されていたといわれています。
メグスリノキは、その優れた効果から江戸時代頃までは人気がありましたが、西洋医学が日本国内でも主流となり発展してきた頃、その存在は少しずつ忘れ去られていきました。
しかし、山間地域では、かすみ目や疲れ目、二日酔いに良いということで、目や肝臓に効く「薬木」として珍重されており、眼病平癒で有名なお寺などでは、メグスリノキが振る舞われたり、販売されたりしていたといわれています。
現在の顔を上に向けて薬液を滴下する点眼式の目薬が誕生したのは、1867年の「精錡水」が最初で、明治初期からは西洋医学の浸透によって、現在使用されている点眼式の目薬が主流になっていったといわれています。
メグスリノキは、眼病や肝臓に良いということは知られていましたが、本格的にメグスリノキについての研究がスタートしたのは、1971年頃です。
星薬科大学生薬学の名誉教授である伊沢一男が、薬用植物採集のフィールドワーク中に学生たちにメグスリノキを紹介したことがきっかけで、同大学生薬学教室が本格的な成分研究に着手するようになりました。
その後、1980年には目と肝臓に効果があるとして、「続・薬草カラー図鑑」にメグスリノキが掲載されています。
1983年にはモルモットを使った実験で、メグスリノキエキスが肝臓障害の予防効果があるとして学会発表され、目だけではなく肝臓にも良い成分として広く知られるようになりました。
「めぐすりの木」ってあったんですね! 黒田藩の財源だった?
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