日本の馬油は針摺で生まれた1

薬師堂グループ3社の創業者、直江昶(なおえ とおる)は、第二次世界大戦後、筑紫野市で、食料生産をしながらの再出発を試みていた最中、そんな昭和23年の暮れ、無断で敷地内に侵入して馬をさばいている人を昶が発見しましたが、近所の農家の人だったので、事を荒立てずに注意するだけに止めました。密殺を見つけられ照れ隠しの弁だったのでしょうが、その人はお詫びにと黄色い脂肪のついた一塊の馬肉をおいていきました。その時聞いた一言が、後に馬の油を日本で初めて 開発するヒントになったのです。

日本の馬油は針摺で生まれた

それから数日後、昶がいつものように工場内の鋳鉄場で働いていたときのことです。何かに躓いて転ぶまいと左手をついた先は、真っ赤に焼けた大鉄釜だったのです。この時、大火傷を負った昶の左手を救ったのは数日前にもらった馬の脂肪でした。偶然とはいえ運命的な馬の油との出会いでした。

これを見た昶は、馬肉の脂肪の効力を確信しました。そして、3ヶ月も過ぎた頃には全く傷跡も残らず完治していました。それ以後、昶の頭から馬の油の不思議が消えたことはなく、仕事の傍らで、馬の油の実験研究を始めました。

ところがこれまでに馬肉の脂肪が皮膚保護剤として研究されたり使用されたりした前例がないという理由で、 昶の十分な研究結果に対しても、厚生省は皮膚保護剤の許可申請を受理しよう とはしませんでした。
やむなく「ご自由にお使いください」というフレーズで、当初は食用油脂として販売することにし、 食品製造会社(有)筑紫野物産研究所を設立、馬の油の製造を開始しました。

昭和46年、こうして「馬油」は筑紫野市針摺という田舎で、日本で初めて商品化されました。
その後、昶は「江戸から明治時代にかけて、香具師(やし)が販売していたガマの油は、実は馬の油だったに違いない」と発表し、「馬油」の評判は口コミで全国各地に広がっていきました。